四季通り商店街

YAOYA「これからもさらに世界でやっていきたい」

YAOYAさんの「奇跡のような経験」

先程のお話で、フランスに行かれたと伺いましたが、その後のお話をお聞かせください

フランスでスタイリストの勉強をしていたのですが、言葉の壁にぶつかったんです。
その当時、上司にあたる人からセネガルを紹介してもらい、それがきっかけでアフリカに行くことになりました。

ヨーロッパからアフリカとなると、全くちがう文化で戸惑ったりはしなかったですか?

実はセネガルの公用語はフランス語なんです。
セネガルは元々フランスの植民地だったということもあり、多くのフランス人が住んでいました。
なのでその土地の仕立て屋さんに洋服を作ってもらうためにも、フランス語が必要だったんです。

「YAOYA」のディレクター 坂田 洸奨さん

なるほど!

それにセネガルは仕立て屋さんが多いので、勉強するにはうってつけでした。

フランス語を勉強しながら仕立て屋さんにデザインの意図を伝えていたんですね

思ったとおりにいかないことも多かったです。
出来上がった洋服を見て、ここをこうしてほしかった、これをこうしてくれと言っても、「お前のフランス語は何を言っているのか分からない」と言われたりもしました。
そういった大変なこともありましたが、徐々に伝わるようになり、これまでアフリカのファッション文化にはなかったデザインを取り入れた洋服を作ると僕が言うので、驚かれることもありました。

例えばどんなものがありましたか?

その当時アフリカでは、ビッグシルエットの洋服というものは考えられないものでした。
他にも世界的にガウチョパンツが流行していたので、僕がそういったパンツを作ると言っても、「そんなの考えられない!」とか(笑)

トレンドを発信する役割も担われていたのかもしれないですね

今、世界ではこういうファッションが流行っているよと発信し、セネガルの人たちに知ってもらう場であったのかもしれません。

セネガルは仕立て屋さんが多いとのことですが、地元の方々はお洋服を買うより仕立て屋さんで作ってもらうことのほうが多いのでしょうか?

そうです、その方が安かったりするんですよ。

自分の好きなお洋服を作ってもらうのは素敵ですよね

そうですね。
セネガルでは、日本で言うフリーマーケットと似たようなイベントがあったりするんです。
いろんな国の人たちが休日に、広場のような場所に出店して販売するイベントに参加した時に、僕たちが作った洋服の評判がすごく良くて、そこからお店やってみようと考えるきっかけになりました。

出発はフリーマーケットだったんですね!

そこから奇跡的なことが起こるんです(笑)

最終的に2店舗を構えることになるのですが、1店舗目は一週間のプレオープンのあとにグランドオープンというスケジュールでした。

世界的に有名なあるアーティストのスタイリストは、ジャンルやテイストによって大勢の集団のようになっているのですが、そのスタイリスト集団の最高責任者の方がセネガル出身で、グランドオープンの2日目ぐらいのタイミングでたまたまセネガルに帰って来られていたんです。
その方が自分のお店に来てくれて、僕たちが作った洋服を気に入ってくださり、そこでさらに名前を広めてくださったんです。

アーティストの方は誰もが一度は絶対に聞いたことのあるお名前で驚きました!セネガルで構えられたお店のお名前を教えて下さい

Maho’s
マホーズ

というお店と、frarika
フラリカ

というブランドです。
エレガンスベースというか、キレイめなお洋服でした。

それぞれお洋服のテイストは違うのですか?

どちらも女性をメインターゲットにしていました。
オーダースーツの依頼も多かったので、それはKŌSHŌ
コーショー

というまた別のブランドでやっていました

Maho’sは元々セレクトショップにしようと思っていたので、アフリカの可愛い雑貨をたくさん仕入れていたのですが、frarikaが想像以上に売れていました。

先程のお話に戻りますが、奇跡的なことが起こったときのお気持ちはいかがでしたか?

お店を気に入ってくださっていたホテルのオーナーさんからは事前に「友達を連れていくから」としか言われていなかったんです。
でも当日にその人が来られると、お店の外にたくさんの野次馬がいて「これはなんだ」と(笑)

どのタイミングで分かったのですか?

買い方が他と違うというか、洋服をどんどんレジに置いていくので「この人ただものじゃない」と思いました(笑)
その後にホテルのオーナーさんに聞いたら、こういう人だよと。

その方自身は名乗らず帰られたんですね

そうです、かっこいいですよね(笑)

でもそれだけたくさんのお洋服を一度に買っていかれると、お店に並べるお洋服がなくなるのではないですか?

Maho’sは他と比べると特殊なお店で、洋服が売れて空になると、そこから2ヶ月間ほどお店をお休みにします。
ちょうど夏にはみんなバカンスで帰られるので、その期間でたくさん洋服を作り、お店を開けて数日経つと空になって、また2ヶ月間で洋服を作っていました。

服を作る期間が必要なほどだったんですね!2ヶ月でどれくらいお洋服を準備されるんですか?

最終的には、上手な仕立て屋さんを20人ほど確保して、ずっと稼働させている状態でした。

セネガルでの人とのつながりは、どうやって築かれていたのですか?

良かったところというか、セネガルには遊ぶところがないんです。
お金持ちかどうかも関係なく、フリーマーケットなどのイベントをするとみんながそこに遊びに来るんです。
1つ何かをやると、そこにいろんな人たちが集まってくれるので、出店さえすれば人脈が勝手に広がっていくところでした。

先ほども少し話に上がりましたが、セネガルでは、洋服は買うものではなく仕立てるものという文化があるので、ちゃんと洋服屋さんをやっているところがあまりなかったんです。
ちゃんとファッションを勉強して洋服を作り始めたという人はセネガルにはあまりおらず、僕が特殊だったようです。
ライバルがいなかったんです。

frarikaなどはもうされていないんでしょうか?

Maho’sとfrarika、KŌSHŌはお店も閉めました。
ちょうど2店舗目を出したタイミングで新型コロナウイルスがセネガルにも感染拡大し始めて、この状況で続けていくのは厳しいと思い、お店は閉めて日本に帰ってきました。

もう一度、フランスに行きたいという思いはありますか?

あります。
セネガルでお店をしている時にもフランスでポップアップストアをやったりもしていて、フランスにもお店を出したいなと思っていました。
なので、アフリカで一緒に洋服を作っていたメンバーを集めてセネガルで基盤を作り、自分のブランドをフランスに持っていきたいなと。

では、今は時を待っているところなのですね

そうですね。
やはり自分はレディース服の方が絶対強いと思っているので、今やっているこのストリートカルチャーのメンズ服は自分の武器ではないなという気はしています。
どちらかというと今は勉強中というか、苦手なことをやってみたいという感覚ですかね。

たしかに、エレガンスベースだったfrarikaと、YAOYAのストリート系は両極端なように思うのですが、YAOYAを構えるときに不安に思ったりはしなかったですか?

宮崎県に帰ってきてアパレルショップで働いている時、ここにずっといたらダメだなというのは、正直ちょっと思っていたんです。
なのでタイミング的にいいきっかけなのかなと思って、ストリートにもチャレンジしてみようと決心しました。

その苦手だったものに取り組んだ結果、ニューヨークですごく人気なお洋服になるというのがすごいです!

YAOYAのロゴが入ったオリジナル帽子
坂田 洸奨さんが作られた洋服

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