一番街商店街

鮨処江戸銀「寿司が好きだからこそ、お客様にもおいしい寿司をお出ししたい」

鮨処江戸銀「寿司が好きだからこそ、お客様にもおいしい寿司をお出ししたい」

宮崎の歓楽街として有名な西橘通り(ニシタチ)。その入り口にあたる一番街商店街で、老舗の寿司屋として親しまれてきたのが「鮨処江戸銀えどぎん」さんです。今回インタビューをお願いしたのは、店主の秋山隆文あきやま たかふみさん。江戸銀さんのルーツやお仕事へのこだわり、一番街商店街への思いについてお話を伺いました。

江戸銀さんの「はじまり」

江戸銀さんのルーツから教えていただきたいのですが、創業から現在までの経緯を聞かせていただけますか?

鮨処江戸銀の暖簾

昭和38年(1963年)に先代である父が個人店として創業したのがはじまりです。その後法人になり、今年(2023年)で創業から数えて60年を迎えます。

もともとは現在の店舗がある場所のちょうど向かいにあるビルで営業していました。4~5年経ってから今の一番街の場所に店舗を移転し、現在に至っています。

ご主人がこの業界に入ったのはおいくつからですか?

高校を卒業して18歳ですぐに江戸銀の会社に就職して働きはじめました。当時は多店舗で経営していたので、系列店のお店で出前持ちからスタートしました。私が働きはじめた頃は、まだまだ飲食業界も厳しい世界で、お店に入ってから2年間はまともに魚を触らせてもらえませんでした。今の時代では驚かれますが、出前持ちや雑用をして必死に仕事を覚える毎日でしたね。

2年後の20歳になってから系列の和食店に異動し、そこから本格的な料理修行をするようになりました。毎日が学ぶことばかりで、仕事中に粗相をして先輩やお客様からずいぶん叱られたのを覚えています(笑)。和食店では10年働かせてもらいました。

その後平成2年に宮崎空港の新ターミナルがオープンするタイミングで、江戸銀の支店を出店することになり、そこの店舗を任せてもらえました。

まさに修行を重ねて職人として腕を磨かれてきたわけですね。現在の江戸銀さんで働きはじめたのはいつからですか?

宮崎空港のお店で19年勤め、49歳のときに本店の江戸銀に移って働きはじめました。当時はまだ板長として先代の父がお店の責任者でしたが、それから5~6年経って父からお店の代をいただきました。今は私が責任者を務めながら、息子も一緒に店を回しています。

江戸銀さんの「仕事」

先代から数えて60年となると長年お店に通ってくださる方も多いのではないですか?

そうですね。私の記憶に残るだけでも、50年以上のお付き合いになるお客様もいらっしゃいます。家族ぐるみでの付き合いになるので、「あんなに小さかったお子さんが、今では会社を引き継いで社長になっている」なんて機会もあり感慨深いですね。

もちろん時間が経てばお客様の移り変わりもありますが、時間が経つからこそ感じられる喜びもあります。長年通ってくださるお客様がいらっしゃるのは、うれしい限りです。

50年ですか。世代をまたいでお付き合いが続くのは素敵ですね。お仕事をされていて大切にされていることはありますか?

鮨処江戸銀の店内

お客様とのコミュニケーションは大事にしていますね。私はどうしても静かに仕事ができない(笑)。人とお話しするのが好きなので、会話をしながら仕事をしたいタイプです。

やはり老舗の寿司屋だと「寡黙で静かに」寿司を握るイメージを持たれるのですが、私は明るく会話も楽しみながらお料理を楽しんでいただければと思っています。

もちろんこれは好みの違いで、どちらが良いとか悪いではありません。ただ、長年お店を構えていると、どうしても敷居が高くなってしまいます。とくに一見いちげんさんだと、なかなか暖簾をくぐってもらえなくなります。やはり常連さんだけでなく、一見さんにも、どんどん店に来ていただきたいのが本音です。その敷居を下げるためにも、私はお客様とコミュニケーションを取るスタイルで寿司を握っていきたいなと。自分なりに模索した末に、今のスタイルに辿り着きました。

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