橘通中央商店街

服地のサカモト「洋服、布地のコンシェルジュを続けていきたい」

服地のサカモト 坂本さん

今回取材させていただいた「服地のサカモト」さんは、宮崎市の橘通中央商店街にあるお仕立て(オーダー)と服地の専門店です。
1966年の創業からお洋服のお仕立てや布地の販売をはじめ、衣類のリメイク、ソーイング教室などを通し、
洋服や生地に関する様々な要望に、豊富なアイデアと高いクオリティでお応えしてくださる心強い老舗の専門店をご紹介します。

取材前にいろいろと準備してくださっていた坂本さん。メディアにはよく出られるんですか?

当店がMRT宮崎放送様と近いこともあり、FAXなどで事業案内をしていました。
ソーイング教室の開催や、マスクでこういう新商品を出しましたという情報を、直接MRT宮崎放送様の報道局などに送ったりとかして。
他にも、UMKテレビ宮崎様や宮崎日日新聞社様、タウン宮崎様などの地元のメディア系企業様が中心ですね。
他にも、全国紙の繊研新聞でソーイング教室が取り上げられました。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響でマスクが不足している時期は、布マスクの生地の需要がすごく多かったです。
最初の頃は、給食で使うような2重ガーゼのマスク生地の注文が多かったです。
ところが新型コロナウイルス感染症の感染拡大時期が想像以上に長く続いているので、「暑い時期に何か涼しい生地ない?」や「肌が荒れるからいい生地ない?」「オシャレな生地ないですか?」などお客様からのご要望が増えてきました。
その都度、当店の洋裁部が「こういうのはどう?」とすぐに形にしてくれて、その商品を、地元メディア様を中心に「こんなマスクまた作りました」とご提案させていただいていました。

マスクといえば、ウェディング(結婚式)用のマスクも作られてますよね?

はい、お客様からのお声をきっかけに製品化しました。
人生において結婚式は大事な日ですし、写真にもずっと残るので、花嫁さんの不織布のマスクにもう少し華やかさをプラスしたかったんです。
そこで、ハンドメイド通販サイトやWebサイトでウェディング用のゴージャスな布マスク販売を開始すると、宮崎県外の方からもお問い合わせいただきました。

ウェディングドレスで不織布のマスク姿は切ないものがありますしね。

まさか私たちもこんなに布マスクの需要があるなんて、予想していなかったです。
新型コロナウイルス感染症が感染拡大し始めた年の3月から4月ぐらいは、世の中がマスク!マスク!マスク!という感じになり、お客様からのご注文は、マスクの生地、ゴム、マスクの生地、またマスクの生地が続いていました。

ご要望に細やかに答えていくのには、かなりの精神力が必要かと思うのですが、そのモチベーションみたいなところはどこにあるのでしょうか?

お客様のご要望にお答えして喜んでもらえるというのが1番、私たちは「作って良かったね」という気持ちが強くなりますね。

表通りの店舗のすぐそばに洋裁部のアトリエがありまして、そこで仕事をしています。
中には50年以上働いてもらっている人もいます。
お洋服のお仕立ては、採寸から仕立てが出来上がるまで様々な行程がありますが、実はパターンを引くという行程に一番技術が必要になります。
当店は、難しいご要望にもお答えすることができます。

細やかに、スピード感を持って対応できるところが強みなんですね

そうですね。

服地のサカモトさんの「歴史」

私の曽祖父が1代目で、祖父母が2代目、父が3代目なんです。
私の父と母は、もともとまったく違う職業で東京都で働いていたんですよ。
私もそれで東京都でしばらく暮らしていたんですけど、両親が実家に戻って継いだのが30年くらい前ですね。

(坂本さんのお母様)
先代からの伝え聞きですが、現在の場所の前は一時、宮崎市の一番街商店街、その前が末広町で、自宅兼店舗として私の両親が昭和31年に開業しました。
古民家のようなところに生地を並べて商売していました。
当時はお洋服だけでなく、ダブルの幅の反物でウールの着物を作るお客様も生地屋さんに来ていた時代でした。

母は仕事一筋でしたね。
夜10時ぐらいまでお店を開けていた時もあったらしいですよ。
それだけ多くのお客様がおみえになっていたんでしょうね。

お客様がお店で楽しんでいてくださるみたいで。
帰られるまではずっとお店を開けておくことが母の信条だったみたいです。

(坂本さん)
実は私自身もこういう布や仕立てなどに、こだわっていたわけではありませんでした。
そもそも大学で英語を学んでいたので、英語に関係する仕事にしようかなと思っていました。
それで就職で1度福岡県のアパレルの会社に入社し働いていました。
これもまた全然違うんですけどね、英語あまり関係ない(笑)

しかしその当時は、海外の方が観光などで福岡県に来られることが多かったので、スタッフで唯一英語でコミュニケーションができる私が対応をしていたんです。

それから4年くらい経った頃に宮崎県に帰ってみようかなと思い、会社を退職して地元に戻ってきました。
そのときには、もう私の父と母が3代目として服地のサカモトで働いていたのですが、2人ともパソコン操作が苦手ということで、私が就職活動をしている合間にお店のパソコン業務を頼まれ始めまして、まぁ、そのまま今日に至ります。(笑)

服地のサカモトさんにはたくさんの種類の生地がありますが、ご自身も相当勉強されたのではないですか?

生地に関しては、毎日生地に触れて「これシルクかな?」という風に覚えていくみたいなことをしていました。
専門の辞典やインターネットで調べたりもするのですが、日々実践しながら体で覚えていく感じですね。

服地の写真

アパレルの会社に入ったのは、お洋服が好きだったとか?

お洋服というより、本当はウェディング関係の仕事に就きたかったです。
しかし就職活動をしていく中で、ウェディング関係の仕事よりアパレル業界への興味が強くなり、「じゃあアパレルの会社を受けてみよう」みたいな感じでした。

今のお仕事でも、ウェディングに関連するお仕事がありますね

おかげさまでお仕立てを承っておりまして、お客様に喜んでいただいています。

ウェディング関連の仕事の写真

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