宮崎市中央市街地商店街のハイカラ通り商店街にある「若草HUTTE」さんへ取材にお伺いしました。
宮崎市民なら、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
オーナーの今西さんから、たくさんのイベントや他では見ないちょっと変わった食べ物などを販売されている若草HUTTEさんの魅力と、地元である宮崎県美郷町に対する想いをお伺いしてきました。
若草HUTTEさんのルーツ「美郷町」と「山師」
まず最初にお伺いしたいのですが、若草HUTTEさんは何屋さんなのでしょうか?
特に何屋というのは決めていないですね。
あえて言うなら、「若草HUTTE」というジャンルでしょうか。
メインとなるサービスはこれ、というものもないですか?
そうですね。
わかりやすく言うと、カフェと、美郷町のものを中心としたローカルストア、あとはコワーキングスペースからなる複合施設という言い方なのかなと思います。
それでも、どれをメインにしているということもないです。
Webサイトを拝見したところ、コワーキングスペースの部屋はかなり広いですよね
そうですね。
2階と3階があります。
ある程度、大きいイベントもできるような広さでしょうか?
新型コロナウイルス感染症が感染拡大する2020年以前は、マルシェ・セミナー・パーティなどのイベント会場での利用を年間200件程いただいていました。
広さ的には30人ぐらい入っても余裕があり、用途によってフロア会場を使い分けできます。
他にも、ライブや展示会も行えます。

さまざまなことに取り組まれていますね
法と秩序に反しない範囲であれば、何でもやります(笑)
山師をされていらっしゃるということですが、具体的にどんなお仕事なのでしょうか?
宮崎県の山間地域の方言の1つとして、林業従事者のことを「山師」と呼ぶんですよね。
それを知らない方の中には、「山師」を「ヤマ」を当てる方のギャンブルの「ヤマ師」と勘違いされる方もいるんですが、正しくは林業従事者を指します。
林業というと、普通の方は木を切っているイメージしかないと思いますが、詳しく言うと「山を作る」ことが主な仕事です。
木を植えて育てるということでしょうか
そうですそうです。
木を植えて、育てて、管理して、最後に伐採して、また木を植えてを続けることで、山を作ります。
山を作るとは、土を持ってきて山を作るというわけではなくて、街を作ることと一緒で、山を整備していくというイメージをしていただけると分かりやすいですかね。
例えば、たくさんの木を植えても、育てて切って終わりだと、どんどん荒れても行くし、逆に管理せず放置していても荒れていくから、山師が管理を続けて山を保つという意味もあります。
山の恩恵を受けつつ、人間が手を入れることによって、山が続いていくようにするということです。
かなり長い目で見て、続けていくお仕事ですよね
そうですね。
何十年、何百年単位になります。
早いものだと、原木椎茸栽培用の木は割と20年ぐらいで伐採できるんです。
原木椎茸栽培用の木は大きくなりすぎると逆に椎茸が作りにくくなるので、そのぐらいで伐採します。
作りにくくなるというと?
原木椎茸栽培は手作業が多いので、大きすぎると作業がしにくいんですよ。
ただ、杉の木になると40年以上かかるものもあります。
長い時間をかけて育てていくので、木を植えてからの結果が自分で見えない時もあります。
宮崎県内の山を管理対象にされているのですか?
私たちは宮崎県の美郷町出身なので、美郷町の周辺が多いですね。
最初から山師をされていらっしゃるんですか?
7年前に就労先の福岡県からUターンしてきました。
山師の前は衣料品関係というか、繊維関係で、宮崎県へ帰ってきてから山師をはじめたのですが、その時からこの店の準備も並行して始めていました。
2022年で山師の仕事をはじめてから7年、若草HUTTEがオープンしてから5年になります。
この若草HUTTEをやるために帰ってこられたんですか?
「このために帰って来た」という具体的な理由はなかったんです。
若草HUTTEを作った理由としては、地元地域の持続が目的です。
出身が美郷町の山奥にある渡川というところで、渡川はいわゆる限界集落という問題を抱えています。
私には弟がいるのですが、彼が私より先に10年ぐらい早く宮崎県に帰って山師をはじめていたんです。
それから私も一緒に山師をはじめたんですよね。
山師を続けていく中で、美郷町の産物や情報を発信する場所を作っていかないといけないよね、という話になりました。
それで山師としての取り組みの一環というわけではないですが、地域の持続を目的として、1つのツールとしてこの若草HUTTEをやろうと思ったんです。
今はインターネットがあるので、山にいても情報を得たりとか、SNSで発信して交流したりなどはもちろんできるんですが、それだけだと限界を感じるときがあるんですよね。
もっとちゃんとした交流の接点がほしかったんです。
自分たちがイベントに出たりとか、街中に来て人と交流することはもちろんやっていました。
山に来てもらうこともやっていたんですけど、でも、もっと気軽に行ける拠点というか、もっと交流する接点を広げた方がいいと思ったんです。
交流する場があればやれることが広がるし、その分可能性も広がるじゃないですか。
ですので、そのための場所を作ったんです。
その活動は、若い方が中心になって取り組まれているんですか?
美郷町は、宮崎県内でも高齢化率がとても高いんですよ。
その中で、渡川に多くの若い人が帰ってきた時期があったんです。
同級生とか知り合いとか、誰かがいると帰ってきやすくなりますよね。
ですので、渡川は若い人が多いんです。
とはいっても、高齢化率の高い美郷町の中で見ると多い、というだけなので、他の市町村と比べて多いわけじゃないんですよ。
それに多くの人が帰ってきたとしても、10年経ってきたらもちろん年をとっていきますよね。
それに元々人口が多い地区でもないので、渡川から出ている人自体が少ないんです。
どれくらいの人がいらっしゃるんですか?
7年前に帰ってきた時は、地区の人口は350人くらいでした。
今はもう300人を切っていて、地域が消滅するという事実がデータとして出ているから何かしよう、と出た案の中のひとつがこれでした。
若草HUTTEさんが拠点となって、山と街をつなぐ橋渡しの役割を担っていらっしゃるんですね
山と街をつなぐという点で伝わりやすいのは、山でできたものを販売したり、こういうものを作っているということを知ってもらうことです。
私たちは、米や椎茸を中心に作っていますが、美郷町で作られた農産物も販売しています。
それ以外にも美郷町でこういう行事や祭りがあるよとか、観光だとこういうところがオススメだよとか、あとこういう人がいますよ、というようなことも発信しています。
そういったきっかけ作りをすることで、実際に美郷町に興味を持って足を運んでくれたり、美郷町のものを購入してくださる方が少しずつでも増えていると実感する事もあるので、山と街を繋ぐという意味を果たせている部分もあるかもしれません。
でもやり出したら美郷町と宮崎市内だけではなくて、他のところとも繋がれることに気づいたんですよね。
同じ宮崎県内の山間部でいうと、諸塚村や椎葉村、西米良村 など、たくさんあるじゃないですか。
そういったところと、ここで山と山が繋がることもあるんですよ。
美郷町にいるときは知らなかったことも知ることができます。
ここにいたら、そういう繋がりが生まれることもあるし、他にも宮崎県外の人や、街と街の人が繋がることもあります。
繋がれる場所という意味で、若草HUTTEは必要だなって思ったんです。
「美郷町の拠点」と思われるのですが、他のところは宮崎市内に拠点を持っているのかと言ったら、持っているわけじゃないんですよね。
宮崎市内で何かするんだったら若草HUTTEでやろうと、そういう人たちに使ってもらうことがどんどん増えています。
そう考えると、若草HUTTEさんは他のお土産屋さんや直売所と比べると少し異色ですよね
よくある直売所とか道の駅とかももちろん良いんですけど、ああいった事業は自分たちでやるより行政とかが中心となってやれば成立しますよね。
ここは、私達がやるからこその「らしさ」を出して行くようにしています。
山と街を繋ぐだけだったら、飲食や物販スペースで、美郷町の農産物を扱うだけでよかったんです。
一方的な押し付けにならないように、街の人から必要とされる場所というか、街の人に使ってもらえる場所がいいなと思っていて、そのときに街中にコワーキングスペースがないな、と気づいて。
これだったらどちらも出来ると思って、このサービスもはじめました。

新しいコミュニティの場ですね
そうですね、まぁ結果的にというのもありますけどね(笑)
雰囲気や空間作りでこだわっているものはありますか?
ないんですよね。
接客もそうですが、かしこまりすぎず、自然体でいることがほとんどですかね。
それがお客様も気軽に来られるような雰囲気の1つなのかもしれないですね