四季通り商店街

Taffee 「その日のテンションがちょっとだけ上がる、『個性的だけど着れる服』を提案していきたい」

Taffeeさんと「お客様」

お店を訪れるお客様の年齢層はどれくらいですか?

年齢層はおもしろくて、割と広い世代の方が訪れてくれています。若い世代だと10代の後半から、上になると40代や50代の方もいらっしゃるので、年齢層の幅は広いですね。特に20代後半の大人層の方が多いです。

アパレル系のお店はターゲットの年齢層がぐっと絞られているイメージがあるのですが、かなり年齢層に幅がありますね。なにか理由はあるのでしょうか?

Taffeeの店内

あるお客様のエピソードですが、高校生の女の子がTaffeeのInstagramを見て、学校帰りに友達とチラッと覗きに来てくれました。すると気に入ったアイテムはあるけど、ちょっと手持ちがないなと日を改めて、今度は週末にお母さんと来店してくれたんです。そこで商品を購入してくれるのですが、今度はその場でお母さんがお店を気に入ってくださって。そのうち娘さんは大学へ進学し県外に行っちゃうのですが、いつの間にかお母さんが常連さんになっている。そんなつながりで、だんだんと年齢層に幅が生まれていきました。

世代をまたいでTaffeeさんのファンになってくれたわけですね。

大学2年生になったときは娘さんがお母さんと一緒に久しぶりに来て「成人式のときに使う小物に古着を使いたいんです」とか、別の機会では「友達の結婚式に出席するけど、あからさまなドレスではなく古着で選んでみたい」とか、節目節目のタイミングで来店してくれています。県外に行って来店する頻度は減ってしまっても、そういった関係性が続いているのはうれしいですね。

性別はどんな割合になりますか?

女性のお客様が6~7割くらいですね。先ほどユニセックスと話したのですが、創業当初はユニセックスでもややメンズ寄りで、10代後半~20代前半ぐらいを想定していました。それが実際に営業し始めると、だんだんと女性客が増え、先ほどお話しした親子でのお客様が増え、次第に今の形になっていった感じです。おかげさまで自分の中でも視野が広がっていきました。

コンセプトとなる軸は変わらなくても、時代を重ねるにつれて、お客様との関係性や年代が変化していくのは、とてもおもしろい部分ですね。

変化という点では、オンラインストア(通販サイト)も運営されていますが、これもスタートしたきっかけがあったのでしょうか?

オンラインストアそのものは、仕入れのスタイルが変化したタイミングあたりから少しずつ始めたので、2019年くらいからスタートしています。きっかけとなったのが、SNSに届くお客様からのDM(ダイレクトメッセージ)やコメントです。TaffeeはInstagramをメインのSNSとして使っているのですが、進学や就職、転勤などで県外に行ったお客様から「通販はできませんか?」という声をInstagramを通じてたくさんいただいていました。それならばとオンラインストアを立ち上げました。

当初は様子を見ながら運営していたのですが、ちょうどコロナ禍になったタイミングで一気に需要が増えました。当時は路面店はお店を閉じなければならない時期もあったので、地元でも服が買えないという方も多かった。そこから本格的にオンラインストアにも力を入れるようになりました。

Taffeeさんと「街中」

Taffeeさんと街中の関係についても聞いてみたいのですが、街中エリアにお店を出した理由はなぜですか?

Taffee店内でオーナー久米さんが服を選んでいる写真

私が高校生や社会人になりたての20代そこそこぐらいまで、今の街中エリアは古着屋が乱立していて、アパレル店もたくさん立ち並んでいました。正月の初商いは若い子たちが洋服の福袋を狙ってお店に列を作ったり、セール期間に古着店を3つも4つも回って服を買ったり、とても楽しい思い出が多い街でした。

ただ、その後はだんだん閉まってしまうお店が増えて、シャッター街みたいな時期がありました。「街中はちょっと行くとこないよね」みたいな声も多かったのですが、一方で自分の中には若い時代を過ごした楽しい街中のイメージがずっと残っていました。寂しい話を聞くたびに「やっぱり街中は楽しい場所だったほうがいいよね」とずっと思っていて。ちょうどそのタイミングが、自分が古着屋をオープンする時期と重なったので、店を出すなら街中だな、というのはすぐに決まりました。

オープン当初は現在の四季通りではなく別の場所だったそうですね。

もともとは若草通商店街の入り口にある文化ストリートという場所でお店をオープンしました。戦後の闇市から歴史がスタートした場所で、実際に行ってみるとわかるのですがちょっと廃墟のような路地で。ただ、その時間が止まったような空間やノスタルジックな雰囲気がとても好きで、ここにポンっと古着屋がオープンして、そこから路地の中でマルシェが開かれたり展示会があったりしたら楽しいだろうなと考えてその場所を選びました。

ちょうど当時はイオンモール宮崎がオープンして、街中から人が離れてしまった時期でもあったのですが、「あちらが表なら、こちらは裏だ」と。そんな位置関係でもいいから、足が止まって、好きな人たちが集まるような場所になれたらいいなという思いがありました。

自分たちが昔楽しかった場所を、あのころと同じ形じゃないにしろまた楽しめる場所にしたい。自分たちの世代だけでなく、下の世代にとっても楽しめる場所を作るきっかけの一つになればいいな、という思いを持っていました。

自分たちが育ってきた、楽しかった街の灯(ともしび)を絶やしたくなかったという気持ちが伝わってきます

今でこそあまり聞かなくなりましたが「宮崎は何もないから」という言葉を使いがちというか。これは宮崎に限らず地方・田舎あるあるかもしれませんが、そういった声を聞くたびに、寂しさを感じていました。それと同時に「何もなくはないよね」とずっと思っていて、自分たちで何かを作れば楽しいものが生まれていくのではないかと。

自分たちが若いころは、街中に行けば仲間や知り合いがいたり、買い物する場所があったり、その後の趣味や仕事、人生につながるような出会いが溢れていたように記憶しています。それを今の街中でもやれたらいいな、というのが根っこの部分にあると思っています。

文化ストリートから現在の四季通りに移転した理由はなぜですか?

先ほど少しお話ししたのですが、Taffeeの客層が変化していくにつれて女性のお客様が増えていきました。それから、私の妻が洋服をセミオーダーで作って販売しているのですが、そちらのターゲット層も20代から30代の子育て世代の女性をメインに据えています。自然と女性のお客様が店舗に足を運んでくださる機会が増えていきました。

文化ストリート時代は、あえてアングラっぽさやサブカルっぽさを演出するために、ちょっと雰囲気のある薄暗い路地裏の立地を選んだのですが、客層が変化してきたので、今度は真逆の場所というか、日の当たる明るい立地の場所でお店を開いてみたいねと妻と話していました。

ちょうどそのタイミングで、今の四季通りの物件に空きができて、1階でTaffeeを営業しながら、2階を妻のアトリエスペースとして活用できそうなので移転することにしました。もともと四季通りは街中でも好きな通りで、アーケードの屋根がなく明るく開放的な雰囲気も、妻と話していたイメージとぴったり一致するなと。それから、個人的に大通りではなく一本道を入った路地や路地裏が好きだったので、その希望にも合致する場所だったのも決め手になりました。

いろいろな条件が一致したタイミングでの移転だったわけですね。TaffeeさんのInstagramを拝見すると、街中で開催されるイベントにも積極的に参加されていますね。

もともとイベントを企画するなり、参加するっていうのはとても好きで、催しがTaffeeの存在を知っていただけるきっかけにもなります。次はこうしたいとか、こんな企画をやってみたい、参加したいという部分は絶えず考えている気がしますね。

実際にイベントとして取り組んだ例を挙げると、街中にある古着屋さんが6~8店舗合同で主催して、春秋の2回に古着屋だけのマルシェを開催したりしました。以前は宮崎の古着屋さんの数が少なくなっていたのですが、Taffeeがオープンしたあたりから宮崎の街中にまた古着屋が増えていました。せっかくなら「宮崎=古着の街」みたいなイメージを作っていきたいとみんなで話し合って実現しました。最近でも四季通りで開催されているサンデーマーケットであったり、街中ピクニートであったり、いろいろなイベントに参加しています。

そういったイベントや空間にはなるべく参加したいですし、その中でできることをどんどん広げていきたい。もちろん、今後も自分から新しいものをやりたいと思っています。

お店のオープン当時と現在の街中を比較して変化は感じますか?

街中の動線というか、作りがわかりやすくなったなと感じています。

バンド活動で全国の都市を回っていると、その土地ごとに特色はあるのですが、ある程度街づくりのフォーマットは同じだなと感じていました。駅前が賑わっていて、そこから繁華街や商店街にいろいろなお店が並んでいて、最終的にお酒や夕食を楽しめる夜の街にたどり着く。そんな動線が用意されているなと。ただ以前の宮崎は駅前、繫華街・商店街、ニシタチを中心として夜の街がそれぞれ点在している状態で、なかなか人の流れが生まれづらいと感じていました。車社会なので、直接用事のあるエリアに向かって、そこで買い物や食事をして帰っていくようなイメージです。

それが少しずつ街中でのイベントや動線を意識した街づくりが進んでいって、駅にアミュプラザがオープンしてからは昼の街から夜の街へ向かう動線が、グラデーションのようにつながってきたように感じています。以前は街中でお店を営業している従業員や、オフィスに通う人ばかりだった道を、若い2人組の女性が歩いて買い物や食事をしている。その光景はすごく新鮮で街中が変わってきたなと、うれしく思っています。現在は広島通りにも新しい複合商業施設(2025年春開業予定)の開発が進んでいますし、人が歩いて楽しめる街にこれからも変化していくとうれしいですね。

Taffeeさんの「これから」

最後にTaffeeさんのこれからについてお聞きしたいのですが、お店としてやってみたいことはありますか?

Taffeeは2014年の2月にオープンして、来年2024年の2月でちょうど10周年を迎えます。それに合わせてキャンペーンやセール、イベントなどを開催していきたいと思っています。特にやってみたいのが、異業種の方とのコラボやイベントです。私は普段から人と話すのが好きで、路面店を営業されている方とも親しくさせていただいています。そういった方々と話していると、本当に個性的な人が多くて参考になることがあったり、参考にならないくらいおもしろい話を聞かせてもらったり(笑)。そんな魅力的な方たちと10周年の機会にご一緒させてもらって、イベントやコラボができたらうれしいなと考えています。

アクセサリーが並ぶTaffeeの店内

それからこれは個人的な思いとお店のやりたいことが重なる部分なのですが、Taffeeがオープンしてから10年のあいだに出会ったお客様と、一緒に新しいことをやってみたいと思っています。来店当初は高校生、大学生だった子が、今では大人になって社会で新しいことに挑戦し始めていて。例えばスタイリストの卵として頑張っている子や、自分で古着屋さんをオープンするために頑張っている子。映像や写真の分野で活躍しようともがいている子や、夢や野望を叶えるために大学や専門学校で勉強している子が、どんどん増えてきています。まだどこかに所属している状態で、個人の屋号は持っていないのですが、そういった子たちにTaffeeの屋号や場所を使って、名前を出していく、やりたいことをやっていく機会を作ってあげたいなと。

どうしても地方や田舎だと、やりたいことがあってもそれを形にできる場所が限られている。すると、「だったら都会に行ってしまおう」と地元を離れてしまいます。その挑戦は応援したいのですが、「それおもしろいじゃん。ここでやってみなよ」と地元で言ってくれる大人がいて、環境があればその子たちの選択肢を増やしてあげられるのではないかと。

思い返すと、自分が若いころには先輩の大人がそういう機会や環境を作ってくれていました。自分もいい歳になって、多少なりとも大人なってきたので、今度は僕らが下の世代を応援してあげる番だと思っています。

街ぐる取材班 編集後記

後藤孝明

ライター
後藤孝明

インタビュー中に終始感じたのは、久米さんが言葉に込める“想い”。どんな質問に対しても、しっかり自分の想いを込めて真摯に応えてくださる姿に、ついつい聞き手も惹き込まれてしまいました。

オープンから10年を迎えて「次の若い世代を応援していきたい」と語る久米さん。Taffeeという場所や空間から、どんな新たなカルチャーが発信されていくのか、楽しみでなりません。

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