ハイカラ通り商店街

Redbedhead「次のステップが苦しいとわかっていてもそちらの方を選んでしまう」

Redbedhead「次のステップが苦しいとわかっていてもそちらの方を選んでしまう」

今回は、宮崎市中心市街地にあるハイカラ通りにお店を構える美容室「Redbedheadレッドベッドヘッド」さんへ取材に伺ってきました。
個性的な髪型やカラーを得意とするオーナーのKohsukeコースケさんに、お話しを伺いました。

Redbedheadさんのはじまり

お店の名前ついてお伺いしたいのですが、由来がありましたら教えてください

これは3つの言葉に見えて2つの言葉なんです。「bedhead」が「寝癖」という意味なので、それが入れ違いになると意味が全く通じなくなります。英語圏の人だと覚えやすいと言ってもらえるのですが、日本人の方は「bed」と「head」が逆になることがよくあります。
真っ赤な寝癖という意味です。

そうなんですね。その言葉に思い入れなどがあるのでしょうか

お店を決める時に、髪に対して必ずしもポジティブじゃなくてもいいかなという気持ちがあったんです。どちらかというとスラングみたいな。それと、僕が韻を踏んだ音が好きだったということもあります。

美容師を目指したきっかけはありますか

中学生の頃から、髪を染めていたり、洋服が好きだったり、ファッションに興味があったんです。
通信制の高校に通っていたので昼間は時間があって、16歳から美容師見習いと、並行して通信制の美容学校でも勉強していました。
最初はかっこいいとか、そんな感じで始めましたね。

美容学校といえば、昼間、実技を学校で学んだりしているイメージがあります

昼間は基本働いて、家で学科のレポートをまとめていました。月に1回とか、夏・冬に集中して学校へ行って、実技を学んでいました。
美容師は国家資格で、美容学校の卒業見込みか、卒業証書がないと、試験を受けられません。
なので、高校に通信で通いながら見習いとして美容室で働いて、プラス美容学校の通信に行っていました。期間は少しずれていますが。

海外でお仕事されたり、宮崎県以外の場所で働かれた経験がおありですが、なぜ海外に行かれたのですか

宮崎県を1回離れてみたいと思っていました。
10代の頃は東京都に行こうと思っていたのですが、英語を覚えて、喋れるようになりたいという思いもありました。
それだと、いずれ海外に行きたくなるだろうなというのが、自分の中で目に見えていたので、東京都に行くことはせず、宮崎県で我慢してお金を貯めて、いきなりイギリスのロンドンへ行きました。

いきなりロンドンへ!ロンドンでは、どのように活動されたのですか

最初はもう本当に手探りというか。
とりあえず語学学校に通うというのは決まっていたので、あとは街を歩いて美容室みたいなところを1軒1軒まわって、「仕事探してるんですけど」という感じで、美容師ができる場所を探しました。

それは宮崎県で資格を取られてから行かれたのですか

そうですね。国家資格を取ってから行きました。
ですが日本の国家資格なので、ロンドンでは美容師免許を持っていても持っていなくても、全く関係なかったです。イギリスでは美容師の資格がなくて、どれだけ経験があるのかが重要なんです。

最初にロンドンを選んだのはなぜですか

ロンドンでも、ニューヨークでも、シドニーでもどこでもよかったのですが、その時好きだったミュージシャンが、イギリス出身の人が多かったなど、そういう感じで決めました。それまで海外旅行も行ったことがありませんでした。

ロンドンではどんなお仕事をされたのでしょうか

サロンで働いていました。
見つけたサロンでサロンワークをしていました。たまにショーのような仕事もしましたが、どちらかというと普通にサロンで働いて、お客様の対応をしていました。

様々なハサミ

そうなんですね。日本でお仕事をされていた経験もおありですが、ロンドンに行かれて大きく違ったところはありますか

美容師としての待遇が、日本と全く逆でした。
日本では、美容師は「お店のやり方に合わせなさい」という場合がほとんどですが、ロンドンでは「あなたの色で頑張りなさい」という感じで、美容師1人1人がちゃんとクリエイターとして認められていました。
海外の美容師は、お店と雇用契約をするというより、サロンという場所を借りる、提供する、そして美容師の仕事をするというニュアンスの、業務委託に近かったです。
いい暮らしがしたかったらいい技術、いいサービスで、いいお客様を掴み、自分の実力で頑張りなさいという感じです。美容師として「自分の色」がないと、食べていけないですね。

お客様のオーダーなども変わったりしますか

ロンドンは、イギリス人だけでなく世界中の人が集まっているので、各国の流行も知らないといけなかったです。
南米系の方もいれば、中東系の方、ヨーロッパの方など、人種も様々でした。
その人たちの感性も1人1人違いますし、人種が違えば毛質も違う、それぞれの国の流行も違います。技術的な部分も、接客というかサービス的な部分も全く違うので、美容師としての幅は広がると思います。

来られる方1人1人に対して全く違う接客をされていたのですか

お客様1人1人注文が違いますし、各国ごとでその人となりが違うので、逆にこちらがブレない、変わらないように気をつけていました。クリエイターである僕の特徴を出せなければ対話してもらえません。日本のようにお客様は神様みたいな文化ではないので、ずっと会話が平行線たどる人などは帰ってくださいと言うこともありました。

日本は5分、10分遅刻してきても施術してもらえると思うのですが、ロンドンではもう店に入れてもらえません。
Redbedheadでは海外のように厳しくはしていませんが、きちんと伝えます。
遅刻や無断キャンセルの方には、他の予約のお客様に影響があることを説明して理解してもらいます。1人の遅刻を許してしまうと、他の方も遅刻を許さないといけないので。
もし、次のお客様の施術に影響が出そうな場合は、今日は無理ですとお断りします。

ロンドンでは接客というより人間対人間の立ち位置です。もちろん失礼なことは言わないし、しませんが、基本的にはお客様も店員も同じ人間ということです。
僕も、お客様の言うことが全て正しいという、いわゆる「お客様は神様」というような接客はしていないと思います。
でも、目上の方にはちゃんと敬語で喋りますし、常識的な部分はちゃんとしていますよ。

全く日本と違う感覚ですね

お客様も、美容師をプロとして扱って、プロとしての意見を聞いてくるので、「ちょっとこうしたらどう思う?」などと、サロンから帰る前に意見や質問を言ってくれます。
海外から戻ってきた日本人美容師は感じていると思うのですが、日本のお客様は意見を言ってくれないんです。気に入ってくれた感じで帰るのですが、気に入らなかったら二度とお店に来ないです。
帰る前に、一言言ってくれれば修正できると思うのですが、日本のお客様は意見を言うと失礼だと思っているようです。ロンドンのお客様は思ったことを言ってくれますが、たまにぶつかる時もあります。

海外にはどのくらいいらっしゃったのですか

全部で4、5年ぐらいだと思います。
本当は日本に帰ってくるつもりはありませんでした。オーストラリアには、技術独立永住権という技術者に与えられる永住権があり、美容師としてそれを狙いにいっていました。オーストラリアに渡って、働いていたお店から就労ビザも出してもらっていたのですが、ちょうど2009年から2010年のリーマンショックで、外国人に対するビザがすごく厳しくなっていました。
結局ビザは更新できませんでしたが、当時はオーストラリアで基盤を作って起業しようと思っていました。

世界的な事情が大変な時だったのですね

何をやってもうまくいかない時期があると思うのですが、ちょうどそれにハマった感じでした。本当に何をやってもうまくいかなかったです。
働いていたお店のオーナーさんが給料未払いのまま連絡が取れなくなったり、ビザが再更新できなかったりで、イギリスに戻ろうかと考えていました。イギリスに戻るためのビザを申請していたら、今度はコンピューターのシステムエラーが起きてもう1度最初から申請し直すように言われました。1回目の申請の時は定員に入っていたのですが、2回目に申請し直した時は定員に漏れてしまいました。
イギリスのビザの2年選考に漏れてしまい、とりあえず半年間だけでもイギリスに戻ろうと飛行機に乗ったのですが、当時は入国審査がすごく厳しく引っかかってしまいました。「前もイギリスにいたけど何をしに戻ってきた?」となり、入国できず収容所に入れられ、そのまま東京都に帰ってきました。
でも、東京都では仕事も辞めているし、家も引き払っていたので、とりあえずその日寝られる場所をと考え地元の宮崎県に帰ってきて。そんな理由で宮崎県での生活がスタートしました。
もう、誰にも邪魔もされずに美容師をしたいというのが大きかったです。

波乱万丈を経て、宮崎県に戻ってこられたのですね

そうですね。もう好きなことをやろうと思っていました。
Redbedheadは、屋根付きストリートミュージシャンぐらいの気持ちで、自分の好きなことに打ち込める場所としています。
独立したいという思いがあったわけではないのですが、色々なお店や外国で働いてみて、やはり自分の納得行くお店というのは自分で作らないとできないなというのは思いました。

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